2019年、就職と趣味の話

大学院に行かないことにした、という記事を書いて、もう一年が立ちました。

僕の思っていたよりも多くの人に読んでいただけたようで、たくさんの感想が呟かれるのを眺めていました。 記事を書いた当初もそうですが、ここ1、2週間にも何かのきっかけで拡散されたようで、自分のことながらもう一年経つのかと感慨に耽っていました。

ちょうど一年ですし、年末です。
区切りがよいので、今年の振り返りをつらつらと書いていこうと思います。


去年の記事を振り返って

あの長い記事を書いたのは、ちょうど卒論の第一稿を提出し終わった時でした。 やることが迷走していて実験もほとんどできておらず、体裁すら整っていないようなものだったのですが、第一稿を書き終わると満足してしまってそこから二日くらいかけて記事を書いていました。

タイトルから大学院に行かないことにしたと言ってはいますが、実際は大学院に行くか否かという決断を下すための理由付けというか、自分に対する説得のようなものでした。 実は、記事を書いた時点で絶対に大学院に行かないぞと決めていたわけではありませんでした。

少し、そのことについて書いておこうと思います。


卒論の時期、最も気が滅入っていたのは、たしか11月の終わりごろだったと思います。 家にこもって進捗を生むぞと思って昼過ぎ頃から机に向かって、深夜までPCに向かっていたにもかかわらず、進捗はクッキークリッカーの設備が増えて生産量が一桁増えただけ、というのは結構精神に来ます。自分が怠惰であるだけなのですが。

院に行かないことにしよう、と本気で考えたのはこの時期でした。 とりあえずインターン先の社長に就職を考えている旨を伝え、内定をいただきました。 教授にも相談し、院には行かず就職をすると宣言しました。 そうして自分は就職するんだという現実を固めていくと、次第に精神が回復していきました。 その時の自分にとって就職を決意するというのは一種の精神安定剤だったのです。そして、それを表明する先のブログもその一環でした。

明確に、あと少しの辛抱である、という確約が欲しかったのかもしれません。 卒論を提出しさえすれば解放される、だからそこまでは頑張ろう、というようなものです。 そのような動機でやる気を出すのは到底模範的とは言えませんし、大局的に見ると悪いことなのかもしれません。 ですが、結果的にはそのおかげで卒論を書き切ることができました。

少し話は変わりますが、卒論の終盤では、少しでも詰まって停滞するのが怖くて、逐一メンターの先輩に訊きに行きました。 とても迷惑をかけたと思うのですが、嫌な顔ひとつせずに親身に考えて頂いて、感謝してもしきれません。


さて、喉元過ぎれば熱さ忘れるという言葉通り、卒論を書き終わると「こんなものか」と思ったのを覚えています。 そうなると、やはり再び考えてしまいます。実は自分は院に行けるんじゃないか、と。

先の記事で院に行かない理由をつらつらと並べて置いて何を言っているんだと思われるかもしれません。 ですが、つまるところ僕の感情の問題ですので、精神状態が変わったら意見も変わってしまいます。

具体的にいうと、大学院の二年間の重みの目算が変わりました。 前回の記事では大分と重く捉えていて、二年間を無駄にするのが怖いと思っていましたが、そのときは後2年くらいならいいかな、というくらいになっていました。 もともと何かを作ったりするのは好きなので、卒論を書いたという達成感に少し酔っていたのかもしれません。

その結果、進路について、院に行く事をそこまで忌避はしないようになりました。 きっと、多少は良い未来が想像できるようになったのだと思います。

とはいえ、もう一度暗闇のような時間を過ごす恐怖はやはりありましたし、その時には、先生方には就職する旨を伝えていて、就職先には内定承諾書を送っていました。 それらを覆してまで院に行きたいとは思えませんでした。

このように書くと、なにか後ろ髪を引かれていそうだなあと思われるかもしれません。 その通りです。 このような人生を左右しそうなことをスッパリと決め切れるほど、僕は強い人間ではありません。あるいは、心が落ち着いて、就職と院進を対等に考えられるようになったのかもしれません。 そう捉えると、この時期の悩みはとても健全なものであるように思います。

そして結局、提出期限のギリギリまで考えて、辞退届を出しました。
現在は新卒1年目として働いています。


少し昔話をします。

僕は子供の時、なかなか執念深かったようで、何か欲しいものを親にねだったのに却下されると、その後しばらくは引きずる悪癖があったらしいのです。 そのせいで、親は一種の諦観でもって、僕が何かを欲しがりながらも遠慮していたりすると、「後でやっぱり欲しかったとか言われるのは嫌だから」と買ってくれるようになりました。

恵まれていることだと思いますが、自慢がしたいわけではなく、価値観の話です。 そのような教育?のもと、僕は心の赴くままに行動を決定するという行動原理を獲得しました。 悪く言うとわがままに育ったのですが、いつもその時に選びたい選択肢を選ぶので、あとで後悔することが無くなりました。

……無くなりましたというと言い過ぎでした。考えなしに行動して後悔することはあります。 ですが、考えた結果選んだ事であれば、僕は過去の自分の思考を肯定したいと思っています。

何が言いたいかというと、現在僕は後悔していないということです。

人生が分岐点ごとに枝分かれしているとして、去年の決断によって多くの可能性に辿り着けなくなったように感じても、それはその時の僕の心には選びようのなかった選択肢です。選べなかった選択肢を悔やんでも仕方ありません。 あるいは、今の自分は、今までの自分が選びたい選択肢を選び続けた結果です。

少し誤解を招くかもしれないので注釈を入れると、僕は身も蓋もない自己責任論を振りかざしているわけではなく、あくまで僕個人の人生の責任を自身に負いたいと思っているというだけの話です。自分の心が進みたい方向に進めるという事が、それ自体でとても幸運な事だと思っています。


少し、大学の話をし過ぎてしまいました。 去年ブログを書いたのも、現在書いているのも、どちらも年の瀬ですが、もし仮に来年以降もブログを書くとして、きっともう大学のことは振り返らないでしょう。 なので大目に見てください。


就職

宣言通り、現在はゲームプログラマをしています。 就職当時はマネージャー職をしたいと思っていたのですが、技術もないまま人をまとめる方向に行くのは良くないなと思い出して、今はプログラマとして技術を磨いていきたいと思っています。

入社してからすぐに、インスタントゲームというブラウザ上でできるミニゲームのようなものを3ヶ月ほどで作りました。企画やデザインの方を含めて3, 4人のチームで、サーバ側を除いたプログラムをほとんど担当したのですが、良い設計をできた自信はありません。 でも、自分がメインで作ったと言えるものが世に出るのはやはり嬉しいです。 欲を言えば、もっと流行って欲しいですが、広告費や運も大きく影響しますので、なんとも言えないです。

スマホ媒体のいわゆるソシャゲがポチポチゲーなどと揶揄されることがあります。ゲーム性が薄く、やることが単純作業になってしまっているゲームの蔑称です。

一方、インスタントゲームは、そもそもゲーム性を楽しむというよりも、暇をつぶすというインスタントな目的でプレイされます。 そのため、インスタントゲームではとにかく分かりやすく、起動が早いことがもとめられているようで、言語さえ理解できればよいクイズゲームや既にルールが知られているボードゲーム、ブロックやボールなどまで抽象化されたアクションゲームなどが人気があるようです。

製作者目線では、ゲームが単純なだけでなくゲームのデプロイも単純ですので、データを見て改善を繰り返してというデータ分析が重要になるそうです。 ゲームの面白さは測るのが難しいですが、どれだけ遊ばれたか、どれだけ広告を見られたか、という数値を見て、ゲームバランスやUI、広告表示回数などを変えたりするようです。

そういうデータでゲーム自体が面白くなるかどうかは分かりませんし、その目を短期的な課金額の大小に向けてしまうと、ガチャの悪しき文化の再生産になるので、難しいですね。

いろいろ好き勝手に言いましたが、僕はインスタントゲームの運営はしていません。インスタントゲームを一本作ったあと別のプロジェクトへ移りました。 まだ世に出ていないので言えることはありませんが、出来るだけ面白いものができるようにこれからも頑張っていきたいと思います。


就職してからは、当たり前なのですが、生活が規則正しくなりました。毎日、一定の時間には起きるというのは、ある種不自由ですが体調は整いますね。

また、反省なのですが、僕は長期的な集中力が保つほうではないので、常に日々の仕事に集中して取り組めているかというと、そんな訳はありません。 例えば、睡眠時間が短かった次の日などは仕事に全く身が入らないです。

とはいえ趣味の時間を削りたくはないので、残業をなくしたり会社の近くに引っ越さないとなあと思っています。

来年は仕事に集中できる生活習慣を確立させたいです。なかなか難しそうですが、いろいろ試してみます。


趣味

宿題や課題がないことで、家にいる時間が本当に幸福に感じられるようになりました。 公私の時間を強制的に区切ってもらうという、去年の記事での就職のメリットが目算通りにいったということになります。

以下に、今年の趣味を書いていこうと思います。 ただの日記です。


競技プログラミング

就職すると何かのツールの使い方を覚えるようなことに頭を使いがちになると思っていて、頭の中でこねくり回すような思考力は落ちるだろうという不安がありました。 実際にはそんなこともなく、よくクラス設計を考えているのですが、まあ、就職前は思考する機会を確保しておきたいなと思っていました。

競技プログラミングというのは、与えられた問題を解くプログラムをいかに早く作成できるか、という競技です。 研究室の先輩に競技プログラミングをおすすめしている方がおり、3月ごろ、全てがひと段落ついたような時期に、いいきっかけだと思い始めてみました。

1~2週間に一回ほどコンテストがあって、出来る限り出ようと思っているので、3月から現在まで32回のコンテストに出ています。

現在の職業であるゲームプログラマにも役に立つことが多いです。 ゲームは1秒に数十回、画面を更新することによって動いているように見えます。 それが遅れると画面がカクつくので、できるだけ早く計算を終わらせるという「問題」に向き合う必要があり、競技プログラミングの能力がそのまま生きる部分だなと思います。


以降、知らない方にとっては何のことだと思われるでしょうが、現在はAtCoderで水色です。 2019年中に青色まで行きたかったのですが、来年にお預けです。

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AtCoderのレート推移

最近、レーティングの伸びが停滞しているので、そろそろ真面目にアルゴリズムの勉強をしないとなあと思い続けて早3ヶ月……。 とはいえコツコツやるというのは自分向きではないので、これからも今までと変わらず、コンテスト中に集中して、コンテスト中に調べて、コンテスト中に勉強して、という感じになりそうです。 それが出来るのが競技プログラミングの良いところでもあると思っています。


もともと絵を描くのは好きなので、新しい趣味ではないのですが、初任給でiPad Proを買ったので、より身近になりました。余談ですが、この記事もiPad Proで書いています。

ゲーム会社には当然、職業イラストレーターがいますので、すぐ隣に絵がめちゃくちゃうまい人がいるわけです。 なので、絵に自信があるとは軽率に言えなくなってしまいましたが、趣味は続いています。

今まではキャラ絵を模写するような楽しみ方をしていましたが、人体の構造スケッチみたいな本を買って模写したり、30秒ドローイングをしてみたり、ちゃんと絵がうまくなりたいと思い始めました。

現状では、モデルや写真なしで描こうとすると、首から肩どうなってんの、背中ってどうやって曲がるの、と何もわからなくなってしまいます。 きっと、大量に見て大量に描かないといつまでも分からないままなんでしょうね。

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最近書いた絵
背景をサボっているし腕の形もよくみると不安だが、線は綺麗に描けた気がしている

絵はいつでも描きたいのですが、ちゃんとしたものを描き始めると5日間くらいの自由時間はすべてそれに費やしてしまうので、ついつい先延ばしにした結果数十日描いていないなぁ、となってしまいます。どうにか、良い習慣を見つけたいです。

また、最近、気になった画家の個展を見に行ってきました。高松和樹さんという方です。

書店で画集発売記念のフェアで初めて知ったのですが、Twitterをフォローすると、まもなく個展を開催するという告知がありました。 開催場所が銀座の画廊だったのですが、そのような場所に行くのは初めてです。

会場のビルの手前まで来て、こんな若造が行っても良いのだろうかとか、入ったら何かを買わせようとしてくるのではないかとか、失礼な恐怖を抱いていました。 もちろん、そんなことはありませんでした。そもそも絵は全て売り切れていました。

高松さんは来場者一人ひとりに気さくに話しかけてくださり、とても優しい方でした。 僕がした質問ではないのですが、
「絵の構想はどうやって浮かぶのですか?」
という質問に対して、
「5chやTwitterなどで印象に残った文章に挿絵をつけるような気持ちで描いています」
と仰っていたのが記憶に残っています。 こんど真似してみようかしらと思いました。

それ以外にも、「天気の子」展やイリヤ・クブシノブさんの個展にも行きました。大量の上手い絵を眺め続けるとモチベーションが上がって良いです。


通勤時間が片道1時間程度と長いので、電車で本を読むようにしています。 基本的に満員電車なので体勢は苦しいのですが、だんだん慣れてきました。

初めは小説と学芸文庫的なものを半々ずつくらい読もうと思っていたのですが、シリーズものの小説を読むと最終巻まで続けて読んでしまい、気づけば小説ばかり読んでいました。 今年呼んだなかで個人的に好きだったのは、「熱学思想の史的展開」と「階段島シリーズ」です。

前者はアリストテレス自然学の4元素から始まって現在の熱力学までどのように熱学が進歩してきたかを詳細に語る科学史についての本で、はるか昔の人が物質をどのように認識していたかを感じられますし、その時代の権威によって守られた思い込みがどのように瓦解していったのかというのも非常に興味深いです。 文庫で全3巻なので、電車の中でも読めます。いま3巻目を読んでいる途中です。

後者は階段島という島に閉じ込められた主人公たちが、成長とか大人になるということについて、ひたすら考え続けます。どこまでも内省的で、一歩ずつ自分のやるべきことを導いているような文体が好きです。シリーズ一作目の「いなくなれ群青」が2015年に大学読書人大賞を取っていて、それで知りました。 僕は見なかったのですが、今年、映画化もされていたので知っている人も多いのではないかと思います。 おそらく最新刊で完結したと思うので、興味があれば読んでみてください。


ピアノ

ピアノの練習を始めました。 卒論の時期に、弾けもしない電子ピアノを買ってしまっていたのです。 アドバイスですが、精神がやられている時にAmazonで商品を眺めるのはやめた方がいいと思います。

本当に全く弾けない状態で買ったのですが、楽しいので気が向いたときに練習しています。 まだ通して弾ける曲が一曲もないのでピアノが趣味ですと言うのは憚られますが、来年上手くなっていきたいです。



他にも、DTMに挑戦してみるとか、ボードゲームを作ってみるとか、会社の人が書いた小説の書評をみんなで書くとか、その小説のコミカライズをしてみるとか、細々とありました。 今年の趣味はこれくらいでしょうか。

誰にも負けません、という趣味がないのが自分らしいですが、どれも少しずつ上手くなっていって、人に負けないものになれば良いなと思います。


終わりに

今回もそこそこ長い記事になってしまいました。
書くにあたって今年を振り返ってみましたが、なんだか大したことを何もできていないような気がして、今は少し反省しています。もっと何かを生み出していかないと、良い年だったなと思えません。

ということで、来年の抱負というか目標は、「会社とは関係なく、自分でゲームを作って世に出す」としようと思います。 ゲームとなると絵も音楽も必要で、それらは自分で作るか、買うか、人に頼むか、まだ分かりません。 来年は他の同期が修論を書いて成長をする年だと思うので、それらに負けないようなものを僕も作りたいと思います。


それでは、良いお年をお迎えください。