Magic: The Gatheringでお話を作る

 最近Magic: The Gatheringを始めました。
 Magic: The Gathering ArenaというPC用ゲームで普通に対戦することもあれば、職場の人と独自ルールで戦ったりしています。
 その独自ルールの中の一つで、カードをドラフトで15枚引いて、引いたカードの名前やフレーバーテキストを使用して物語を作るというものがありました。
(ドラフト:15枚入っているブースターパックを一人一つずつ開け、その中から一枚とって横の人に渡すことを繰り返す)

 職場の人にしか見せないのも勿体ないなと思ったのでここに上げておきます。



『盗み得ぬもの』(使用枚数14枚)

 新春の早朝の冷え切った空気が石造りの教会内に重々しく立ち込め、司教の枯れた声だけがそれを震わせている。
 ジェイデンはずっとこの日を待ちわびていた。彼はアーデンベイルの若年の騎士である。正確には、この儀式をもって騎士となる。周囲にはジェイデンと同じく、栄光あるアーデンベイルの騎士として認められることに胸を高鳴らせる者たちが円形に並んでいる。彼らは円の中心へと己が剣をまっすぐに突き出し、各々の決意の表明としていた。司教の声は次第に辺りと共鳴し、協会内の至る所からまだ己の形を保てない精霊が現れ、銀色に煌めいた。それらはジェイデンらの円の内側へ渦巻くように集まり、炎のように揺れて剣と鎧を輝かせる。この儀式が『銀炎の儀式』と呼ばれる由縁である。
 炎はやがてそれぞれの剣の先へと分かれ、一つの姿を顕現させる。精霊の姿はその精霊が核とする思いによって決まる。周囲を見ると、既に馬や雄牛、キマイラの精霊が自らの主人となる騎士を見定めているようである。そして最後にジェイデンのもとへ現れた精霊は、獅子の体躯に若い鷲の頭部と翼を携える、若いグリフィンだった。グリフィンの視線にジェイデンは応えた。目はそらさない。
 そのままどれだけの時間がたっただろう。足は地面を感じられないほど冷え、手の熱は絶えず剣を伝って放出された。しかし、心だけが銀炎に照らされ、消して冷めることはなかった。それが確かに伝わったのだろう。グリフィンは静かに頭を下げ、目を閉じた。
 こうしてジェイデンは精霊と契約し、騎士となった。

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 王女、シエンナは数日間ずっと落ち着かない様子だった。気もそぞろに宮廷の庭を歩き回っている。
「ああ、イザベラじゃない。ねえイザベラ、あなたの時は、あれ、何日で戻ったのでしたっけ」
 城門近くで呼びかけられたのはアーデンベイルの聖騎士、イザベラである。金色に輝く髪を揺らせ、いつもの生真面目な顔でイザベラは小さくため息をついた。
「心配なのはわかりますがその質問はもう5回目ですよ。シエンナ」
「だってだって、もう彼の出立から四日になるのよ。あなたは二日で帰ってきたのでしょう? もう帰ってきてもいいじゃない。それなのに――」
「シエンナ。自分で言うようなことではないのですが、私は歴代の騎士の中でもかなり早い方でした。普通は四、五日かかるのですよ、神秘の聖域での初めの修練には」
 イザベラはすこし決まりが悪そうに遮った。
「でもでも、私、彼は優秀と聞いたわ。精霊だってあなたと同じグリフィンだったのでしょう? だったら彼だってもう帰ってきてもいいはずよ」
「それほど単純ではないのです。行って戻ってくるだけであれば一日でも足りましょうが、それでは修練になりません」
「それは、まあ、分かるわよ。じゃあ実際に神秘の聖域では一体なにを――」
 再びイザベラが遮る。
「申し訳ありません、シエンナ。人に呼ばれている道中なのです。続きはまた話しますから」
 シエンナは頬を膨らせて不満を表そうとして、そこで城門から黒馬に乗って入ってくる者に気がついた。
 それはアーデンベイルの友好国、ロークスワインの聖騎士モリーであった。随分と急いできたようで、馬は白い息を噴き上げ、モリーも額に汗をにじませている。
「ああ、シエンナ殿、お久しぶりです。イザベラ殿も」
 モリーとシエンナとは社交界で何度か面識はあったが、特段親しいわけではない。一方、イザベラとは国は違えど聖騎士という立場を同じくするもの同士、打ち解けている様子だ。
 シエンナは軽く会釈をしておいた。
「ええ、モリー。急に伝書を寄越してどうされたのです? ……一人ですか?」
 聖騎士が一人で他国へ赴くなど、そうないことである。
「ああ。至急の話があるのだ。私にも訳が分からないことで混乱しているのだが」
「わかりました。では中へ」
 どうやらこのままシエンナとの会話は打ち切られてしまうようである。
「イザベラ、神秘の聖域の話は今度ちゃんと聞かせてもらうからね」
 シエンナはそういって無為な散歩を続けようとした。しかし、その言葉を聞いた途端にモリーが目を剥き、顔が青ざめるのが確かにわかった。
モリー? どうしましたか?」
 イザベラもモリーの様子に気付いた。
「いや、なんでもない。さ、早く」
 そのままモリーは連れられて行ってしまった。

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「怪しいわ」
 シエンナは一人呟く。モリーの様子を見るに、神秘の聖域で何か異変があったに違いない。
 気になりだせば止まらないのがシエンナの性分であった。
「城は文字通り私の庭。盗聴も乙女のたしなみってね」
 ここは、二人の聖騎士、イザベラとモリーが入っていった部屋のちょうど裏側に位置する。面する壁には薄くなっている場所があることをシエンナは知っていた。耳を当てるとかすかに二人の会話が聞こえてくる。
「……そういえばシエンナ殿とのお話を遮ってしまったようで、すまない」
「いえ、大したことは話していません。それに、あの子はそそっかしいところがありますから、下手なことは聞かせないほうが良いのです」
 自身の話題にシエンナは口を尖らせた。
「なによ、イザベラったら……」
 二人の会話は続く。
「では、本題に入ろう。七日前、我らがロークスワインの王が恒例の儀式のために神秘の聖域へと赴かれた」
「神秘の聖域ですか。どのような儀式です?」
「ロークスワイン全土の精霊の安寧を祈る儀式だ。アーデンベイルにも似たようなものはあると思う」
「ええ、あります。確かに、精霊関連の儀式であれば精霊の生まれる地、神秘の聖域へ行くのは必定です」
 事実、アーデンベイルの王も三月ほど前に同様に神秘の聖域へ訪れているし、イザベラ自身も神秘の聖域へは何度も足を運んでいる。新たに騎士となったものが必ず初めに神秘の聖域へと修練へ向かわされるのも、契約を交わしたばかりの己が精霊と対話するためである。
「そう。儀式自体は毎年のことだ。神秘の聖域もさほど危険な場所ではない。だが、陛下の消息が絶たれたのだ」
「どういうことです?」
「言葉通りの意味だ。本来は三日ほどで帰るはずの旅路であるのに王は今まで戻って来ず、知らせも来ない。王の出立から五日後に、私は騎士団を連れて神秘の聖域へと向かった」
 シエンナは息をのんだ。一国の主の安否だけではない。ロークスワインそのものを揺るがす事件のようである。
「何があったのですか」
 イザベラは再度問うた。
「到着したときは、まだ日も出ていて特に異変も感じられなかった。そのまま私たちは聖域の奥へと進んだ。次第に辺りは暗くなるが、儀式は中心の洞窟で行うから、そこまでは休まずに進もうとしていた。そして、日が沈み切ってしばらくした時のことだった」
 モリーは恐ろしいものを飲み込むようにゆっくりと息を吸い、続けた。
「突然辺りに禍々しい気配が立ち込めたのだ。我々のほとんどが異変に気付いた。その直後、前方からカラスが大群をなして飛んできたのだ。脇へそれてやり過ごそうとしても、どうやら我々を狙っているらしい。呪文でも迎え撃ったが、数が途方もない。カラスは一人の騎士を大群で取り囲んでほどなく、彼は倒れた。我々は一人、二人と次々に襲われた。私は撤退を指示したが、逃亡のさなかも猛襲はやむことなく、聖域を抜けたときに残っていたのは私だけだった」
 イザベラは絶句しているようだった。
「イザベラ殿、頼む。アーデンベイルの力を貸してくれないだろうか。無理なことを言っているのは分かっている。しかし我々の王、並びに騎士団を失えば、ロークスワインは確実に揺らぐ。そうなるわけにはいかないのだ」
「……しかし、王や騎士団が生きている保証はないのでは?」
「司教がいうには、まだ彼らと精霊の契約は切れていない。彼らは生きている」
 イザベラは大きく息を吐いた。
「私一人で手に負える問題ではありません。我が国の王に打診いたします」
 そのまま会話は終わった。
 そのときすでに、会議室の壁の向こうにシエンナの姿はなかった。神秘の聖域で修行をしている想い人に危機が迫っている。いや、もうすでに命を失っているかもしれないのだ。シエンナは居ても立っても居られなくなり、城を飛び出した。


 城郭都市アーデンベイルから少し外れた丘に、古い教会がある。アーデンベイルにおいて騎士と精霊の契約は全てここで執り行われている。
 シエンナは使用人の目を盗んで自分の馬を出し、この教会まで走ってきた。彼女の想い人、ジェイデンの無事を確認するためである。辺りでは早朝に降りた霜が解け始め、まだ高くない陽に照らされてきらきらと光って少し眩しい。
 馬を停めて中へ入ろうとしたとき、シエンナはふと冷静になった。万が一、もう命がないとしたら、そうですかと納得できるのだろうか。あるいは、たとえ今無事だったとして、先ほど聞いた話からすれば到底安心はできない。彼の生死を知って私はどうしたいというのか。私は――
「あれ、シエンナじゃん」
 突然背後から声をかけられ、シエンナは飛び上がりそうになった。
 声の主はアーデンベイルの戦術家として名高い才女、ソフィアである。シエンナとは気が置けない幼馴染だ。
「ソフィア! ど、どうしたの? こんなところで」
「ええと、今、新しい武器を作ってて、その相談」
「武器? でもここらへんに工場なんてないじゃない」
「対精霊用だから、この教会で作ってんの。ほら、これだよ」
 ソフィアは懐からロケットペンダントを取り出し見せてきた。中には緑色の鉱石のような結晶が入っているが、とても武器には見えない。
「魔力を込めて使うの。効果は強いんだけど、影響範囲が狭いのが難点なのよ」
 ソフィアはロケットを持つ右手を横へ突き出し、魔力を込めた。すると、その手を覆うほどの範囲に淡い緑色の光が現れた。
「私の魔力量だとこれくらいが限界。シエンナは魔力が強いから全身を覆うくらいには広がると思うけど」
 魔力の強さはその血統、生まれもった素質が大きい。王家の直系であるシエンナは平均よりかなり強い魔力を持っている。
「この光に触れるとどうなるの?」
 光を指さして、シエンナが尋ねた。
「精霊がほどける」
「ほどける?」
「精霊の体を一つに繋ぎとめている力があるんだけど、それを無力化するの。だから、精霊がこの光に触れた部分が、そのまま元の姿、つまり空気中を漂う微細な精霊子に戻るんだよ」
「なんか、怖い」
 精霊は人や獣の想いを核とする存在である。それが『ほどける』というのは、何か言い知れない寒気があった。
「兵器だからね。これを作るのに、最近はずっと古い魔術書とか禁呪とかと格闘してるんだ」
 そう語るソフィアは、シエンナが幼い時から見てきた無邪気な笑顔だった。
「あ、あんまり使ってると、この子が怖がっちゃう」
 ソフィアは後ろを一瞥した。おそらくそこに彼女の契約した精霊がいるのだろう。普段の精霊は契約した本人にしか見えないため、シエンナは察する他はないが、体を縮こまらせて震えていてもおかしくはない。この光は精霊にとっておそらく天敵のような存在に違いないのだから。
 ソフィアの右手を包む光は魔力が断たれるとすぐに消えた。
「ところでシエンナはどうしてここに来たの?」
 ロケットを懐にしまいながらソフィアが尋ねた。
「ちょっと、その、気になることがあって」
「気になること……、あ、わかった。さてはジェイデンのことね。彼が騎士になって初めての旅だから心配なんでしょ。じゃあ、ついでに彼のこと聞いといてあげるよ。ちょっと待っててね」
「え、あ、うん」
 シエンナが親友の察しの良さに驚愕する暇もなく、ソフィアは教会へ入っていった。
 ソフィアは昔から人の話をよく聞かないが、しかしまるで心が読めるかのようにこちらの考えを理解する。論理的に妥当なことを推測しているだけ、と本人は語っていた。頭が切れることは間違いない。
 手持無沙汰になり、壁にもたれかかる。シエンナは考えていた。今、自分がしたいこと。
 しばらくしてソフィアは戻った。
「お待たせ。神秘の聖域に行った新米騎士はまだ誰も死んでないって。司教様に聞いた」
 カラスの大群に襲われたロークスワインの騎士たちも誰も死んではいないと言っていた。死んでいないから無事というわけではない。シエンナは、自分の決心をソフィアに伝えることにした。
「ねえ、神秘の聖域に一緒に行ってくれないかしら?」
「え?」
「お願い。ジェイデンを助けたいの」
 シエンナは先ほど盗み聞いた話を伝えた。
「ふうん、大量のカラスに倒れた騎士、帰ってこない王様……」
「やっぱり、危ない……かな?」
 考え込むそぶりを見せるソフィアに、シエンナは少し不安になった。
「面白そうじゃん。怪しい魔術の香りがするわ。じゃあ、早速」
 そう言ってソフィアは指笛を吹き、グリフィンを呼んだ。騎士とグリフィンの絆は強く、呼べばどこであっても来る。
「いいの?」
「シエンナが誘ったんじゃない」
「そうだけど……」
 シエンナはとっさに俯いてしまう。自分が行ってできることなんてあるのだろうか。ただ危険に身をさらして、親友を傷つけてしまうかもしれない。ソフィアが無事で自分だけが傷ついたとしても、きっとソフィアは責められてしまう。イザベラとモリーも動いている。二人に任せるのが良いのかもしれない。私は一人、城の自室で待っているのが――
「行きたいんでしょう?」
 顔を上げると、ソフィアが真っ直ぐに見つめていた。そうだ。自分が決めたことだ。シエンナは覚悟を決めて、しっかりと頷いた。
 ほどなく空から羽音が響く。
「行こうか」
 二人はグリフィンへ跨り、そのまま大空へ飛び立った。
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 二人の聖騎士、モリーとイザベラは馬を走らせていた。二人が向かうのは件の場所、神秘の聖域である。
「申し訳ありません。ロークスワイン国の危機に力を貸すことができず」
 イザベラがアーデンベイルの国王に事情を話して助力を打診したが、それは敢え無く断られた。
「いや、良いのだ。正式な書面もなく、話の証拠もない。一つの騎士団を動かすにはリスクも大きすぎる。イザベラ殿が共に来てくれただけでもアーデンベイルまで来た甲斐があった。心から感謝する」
「友の頼みに応えるのも私の、騎士としての矜持です」
 国王の許可が得られなかった以上、イザベラのこの行動は独断によるものである。だが、それによって罰されるようなことはないだろう。国王はそれほど狭量ではない。それより恐れるべきは、神秘の聖域に待ち受けるものである。イザベラは一つ策があった。
 聖騎士の扱う馬の速さはグリフィンにも劣らない。二人はすぐに神秘の聖域へたどり着いた。
 辺りは厚い雲が立ち込めていた。さらに生い茂る樹木で光は遮られる。まるでこの空間だけは夜であると主張するようであった。
 突然、先行するモリーが足を止めた。
「あれが見えるか?」
 モリーの指さす先を見ると、湖畔に人影のようなものが二つほど見えた。目を凝らすとどちらも長い髪の女のようである。イザベラはその特徴に覚えがあった。
「マーフォーク……のようですね。まだ昼のはずなのに、この暗さのせいでしょうか」
 神秘の聖域に生息するマーフォークは夜行性で、往時の遺物を求めて月光を頼りに湖の浅瀬を探索する姿から月明かりの掃除屋と呼ばれる。また、平時では危険の少ない神秘の聖域において、彼女らは唯一の懸念事項である。一人歩きの旅人などは、その武器や装飾品を目当てに襲われることも少なくない。一方で、相手の力量が自分たちより上と判断すると敵対せず、むしろ従順な態度を見せるような狡猾さを兼ね備えている。
「おい、掃除屋。聞きたいことがある」
 モリーは馬を降りてマーフォークに近づき、話しかけた。聖騎士二人を相手取って争うようなことはすまいという判断である。
 彼女らは声に反応して振り向いた。しかしどこか困惑した表情で、呼びかけられたのが自分たちであると認識していないようだった。
「マーフォーク。お前たちのことだ」
「私たち……に、何か用か?」
 マーフォークの一人が恐る恐るといった風に答えた。
 その様子にイザベラは訝しんだ。どこか様子がおかしい。狡猾な掃除屋がこのように敵対するとも従順するともつかない曖昧な返答をするなど、経験したことがなかった。
「近頃この辺りで何か異変は起こらなかったか?」
 モリーは構わず続けた。
「……分からない」
 やはりどこか自信のない声が返ってくる。
「分からないとはどういうことだ? お前たちはここに住んでいるのだろう?」
 モリーは語気を強めて再び問うた。マーフォークは隠すこともなく表情に恐怖を浮かべる。
「分からない。私たちには、何も!」
 そう言うや否や、彼女らは湖へ後ずさり、二人から逃げようとした。
「おい、どういう――」
モリー、あれを見てください!」
 呼び留めようとするモリーの肩を掴み、イザベラが指さした先には遠く、黒い靄をまとった塊が迫ってくるのが見えた。その塊は徐々に近づいてきて、一つ一つの形が明らかになっていく。
「カラスだ! くそっ、もう来たのか」
 モリーは舌打ちしながら馬へ飛び乗った。
モリー、私から離れないでください!」
 そういってイザベラは呪文を唱え始めた。カラスはみるみる近づいてくる。
 モリーが横を一瞥するとマーフォークもそのカラスにひどく怯えて湖へ入るも、まだ浅瀬が続くようで身を隠すことはできない様子である。
 しかし、カラスらはマーフォークには用がないとでもいうように、真っすぐにこちらを目掛けてきている。もう数秒としないうちにカラスの先頭が到達する。
「まだか!」
 モリーが叫んだ瞬間、イザベラを中心に光の壁が形成された。そこへ突撃した初めのカラスが弾かれ、全身が燃え上がるのも同時であった。
 イザベラの策、それは結界呪文であった。
 結界呪文は文字通り自身の周囲に防護壁を立てる、アーデンベイルが得意とする呪文である。強大な敵や、一極へ集中するような攻撃には効かないことも多いが、モリーの話から、カラスの個としての力は強くないと判断した。
「結界に触れた敵を燃やすような効果を付与すれば、まさに飛んで火にいる夏の虫でしょう。なぜロークスワインの騎士たちがカラスに囲まれたくらいで倒れたのか、それがわからないので絶対安全とは言えませんが」
 策はどうやら有効であったようだ。次々と突撃して灰となってゆくカラスを見ながら、イザベラはやや安堵した。
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 グリフィンの上はシエンナの想像よりずっと安定していたが、風の冷たさはどうにも避けられない。前に乗るソフィアにしっかりと掴まって、親友の体温でなんとか堪えていた。
 じきに森と湖からなる一帯が眼下に広がった。しかし雲が厚く、薄く霧も出ていて視界が良くない。
「なんか薄暗いわね。神秘の聖域っていつもこんななの?」
 風切り音に打ち消されないように声を張って、シエンナはソフィアに尋ねた。
「そんなに晴れることない場所だけど、なんか変な気候。ちょっと嫌な感じがする」
 ソフィアの声から警戒が伝わってくる。
「シエンナ、あれ見える?」
 そういってソフィアが指さした先は、湖の中央に浮かぶ小さな島だった。島には塔が一つだけ立っている。視界は悪いが、シエンナにも確認できた。
「あの塔が神秘の聖域っていう名前の由来なの。あの中では精霊の存在が強くなる。契約を結んでいない精霊でも、その姿がはっきりと見えるくらいに。騎士になった人は最初にここで自分が契約した精霊と対話するの」
「対話?」
「精霊の核は元の人や獣の想い。でも、それはただの核でしかなくて、騎士の思い、思想とか決意とか、そういうものを精霊と共有することによって精霊の存在は強固になるの。対話にかかる時間は人それぞれとしか言いようがないな。それに、あの塔の中だと時間を忘れるっていうか。本人たちにとってはあっという間だったりするし」
「じゃあ、そこにジェイデンがいるのね」
「行き違いになっていなければ」
「じゃあ行きましょう」
 気持ちが逸る。
「ううん、でもあの塔の周りを飛んでる黒い塊、きっとあれが話に出てきたカラスだね。あれに近づいたら流石にまずいかも」
 ソフィアの言う通り、確かに塔の付近に黒い塊が蠢きながら飛んでいた。よく見ると一匹ずつが黒い靄をまとっており、そのせいで境界がはっきりせずに塊のように見えている。
「……突然倒れた騎士に、あのカラスたちがまとっている黒い靄、うん、間違いなさそう」
 ソフィアが一人つぶやいて頷いている。
「何かわかったの?」
「あれは多分、記憶盗みで、あの靄が記憶。私の精霊がそう感じている。古い禁呪だから、まさか実物が見れるなんて思わなかったけど」
「記憶盗み?」
 シエンナには聞いたことのない名称だった。
「あのカラスたちは人や獣の記憶を食べるの。正確には、カラスは誰かの記憶を無差別に奪って術者のもとへ届ける呪いをかけられている。あの黒い靄はその記憶。記憶を奪われた人はしばらく意識を失うけれど、命に別状はないらしい。とはいっても無抵抗だから、悪意のある人間に襲われたら終わりだけど」
「記憶を奪うって、なんでそんなことを……」
「古くは洗脳に使ったみたい。まっさらな状態の方が思想を植え付けやすいんだろうね。まあ、私に言わせれば、全部忘れちゃったら何かおかしいことは丸わかりだから、工作員としては使えないし。ゼロから新しいことを学ばせるにしても、子育てでもするのかって話で、あんまり使いどころが――」
「ソフィア、もういいわ。分かったから。じゃあ、近づけないの?」
 止まらなくなってしまったソフィアを遮って本題へ戻す。
「ううん、なんとか隙を見られればいいんだけど、って、あれ?」
 急にカラスの群れが塔の周囲の巡回をやめ、何かを目指して一斉に動き始めた。
 行く先を目で追うと、地上に結界術が見えた。カラスはそこへ突撃し、結界に触れたそばから燃え上がっている。
「あれ、イザベラかしら」
「かもね、とにかく、今がチャンスだ」
 ソフィアはグリフィンを塔のある島へ向かわせる。
 カラスの注意は完全に結界の方へ向いており、二人は無事に着陸した。
「あーあ、一匹くらい捕って調べたかったなあ」
 しみじみとソフィア呟いたのをシエンナは聞き逃さなかった。
「ソフィア……」
「冗談よ」
 冗談には聞こえなかった。
「まあいいわ、とにかく、塔へ入りましょう」
 ソフィアの手を取り、塔の入口へと向かおうとする。しかし、ソフィアは動かず、シエンナを制止した。
「いや、イザベラを待とう」
「でも早くしないと手遅れになっちゃうかもしれないのよ」
 シエンナは気が急いていた。しかし、ソフィアはゆっくりと首を振る。
「私が読んだ文献によると、記憶盗みの呪いには生贄が必要なの。それは、カラス一匹に対して、魔女一人」
 魔女、それは魔力を持つ女性を指す蔑称である。大半の人間が魔力を扱うようになった近世以降、公に使われることはなくなった。
「え? でも、あんなにたくさんいたのに、まさか」
「うん、それだけ大量の人間を殺している、ということになる」
 シエンナは息を飲んだ。カラスは何十、何百匹といたのだ。
「きっと、中にいるのは相当危険な相手だ。私一人では、きっとソフィアを守れない」
「……分かったわ」
 シエンナはソフィアの手を引いていた力を抜いた。繋いだ手だけが温かかった。
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 二人の聖騎士、イザベラとモリーはすぐに現れた。
「シエンナ、なぜここにいるのです! ソフィアまで」
 開口一番、イザベラは声を荒げた。
「ごめんなさい、私、二人の会話を聞いていたの。カラスに襲われた話。それで、心配で、居ても立っても居られなくて」
「どれだけ危険なことか、分かっているのですか。それにあなたが来ても――」
「イザベラ、もう来てしまったものは仕方ないだろう。それより、塔の中へは入ったのか?」
 モリーが話を遮る。
「いえ、まだです。お二人を待っていました。理由は――」
 ソフィアが答え、そのまま記憶盗みについて話した。
 二人の聖騎士の顔が次第に強張っていく。
 ソフィアが話し終わると、モリーが眉間にしわを寄せて、ため息をついた。
「実は近頃、ロークスワインで女性の失踪事件が多発していたのだが、なるほど、記憶盗み……」
「あのマーフォークたちの様子がおかしかったのも、きっと記憶を盗まれていたのでしょうね」
 イザベラの発言にモリーが頷く。
「ですが、カラスは全て焼き尽くしました。じきに術者も異変に気が付くはずです。籠城の準備でもされては敵わない。警戒される前に、急ぎましょう」
 イザベラが先頭に立ち、四人は塔へ入った。
 塔の中では、ソフィアの言った通り、精霊の姿が現れた。イザベラのグリフィン、モリーのヴァンパイア、ソフィアのユニコーンが、銀色の揺らめく光のようにその実体をもって、四人の周囲で警戒している。
 シエンナはソフィアのユニコーンに軽く触れると、確かにその艶やかな毛並みを感じることができた。
「これが、精霊……」
 シエンナは思わず呟いた。
「静かに」
 すぐさまソフィアに咎められる。
 音を立てないように進んでいくと、人の話し声が聞こえた。音を辿ると一つの部屋にたどり着いた。
 イザベラが入口の横に立ち、耳を澄ます。
「……だめだ、何も思い出せねぇ」
「俺はもう諦めたよ」
「しかし、俺たち、どうなっちまうんだろうな」
「あのカラスさえいなけりゃ、逃げ出せるが……」
 数人の男が話す声が聞こえる。
 イザベラは三人へ合図を出し、部屋の中へ入った。
「だ、誰だ!」
「新入りか?」
 部屋の中がざわつく。中には数十人ほどおり、大半はぐったりと倒れていた。
「お前たち! 無事だったか」
 モリーが声を上げ、起きて話している数人の男へ近づいた。
「もしかして、俺たちの知り合いか?」
 一人の男が警戒しつつモリーに尋ねる。
「ああ、覚えていないか? 私はモリー。お前たちは私と同じ、ロークスワインの騎士だ」
モリー?」
「ロークスワイン?」
「俺が、騎士……」
「すまないが、何も心当たりがない」
 男たちは嘘や冗談を言っているようには見えない。モリーはひどく悲愴な顔をした。
「くっ……、死でさえも、ロークスワインの騎士の執念を弱めることはできないと言われたものだが……」
 モリーは床にこぶしを叩きつけ、鈍い音が小さく響いた。
モリー、嘆いても仕方がありません」
 イザベラはモリーの肩に手を置いて、男たちの方へ向き直った。
「私たちはあなた方を助けに来ました。この塔の現状を教えてください」
 男らは互いに顔を合わせ、頷いた。
「外にはカラスがいて、塔から出たら襲われる。上に行こうとすると、ひどい音が聞こえて、それより上へは進めねぇ」
 塔の上に行く手段は、内壁をぐるりと回る螺旋の階段しかない。
「ひどい音?」
 ソフィアが返す。
「ああ、身体の骨が耳から吸い出されるような、ああ、思い出しただけでも鳥肌が立つ」
「なるほど」
 ソフィアは、なにか見当がついたようである。
「それと、男が時々現れる。その時にも音がして、誰も抵抗できないうちに女だけを上へ連れて行くんだ。上から戻ってきたやつはいない」
「女だけ……記憶盗みの生贄か」
 モリーはあたりを見回した。確かに女は一人もいない。そして、気付いた。
「王、ロークスワイン王がいない! 他に人がいる部屋はあるのか?」
「いや、この部屋だけだ」
「上にいるのでしょう。どちらにせよ、行かねばなりません」
 そういって立ち上がろうとするイザベラを、ソフィアが引き留めた。
「その前に、対策を練りましょう。みなさん、聞いて……って、シエンナは?」
 周囲を見渡すと、シエンナは部屋の隅で仰向けに倒れている男の横にいた。
「ジェイデン、ああ、ジェイデン。よかった、まだ息をしている」
 その声に、ジェイデンは目を覚ました。
「……私は、ジェイデンというのですか?」
 声は細く、目からはわずかな生気しか感じられない。無理もない。このような極限状態で精神をすり減らしたまま、3、4日は経っているはずだ。食料も底をついているだろう。
「ええ、そうよ。ジェイデン」
「シエンナ、悪いけどあまり余裕がないんだ。そういうのは後にして」
 ソフィアがシエンナを呼ぶ。
「でも……」
「今、一番危険なのはシエンナだ。女だからここにいても掴まるし、戦う力もない。私たちと一緒に行動してくれないと、あなたを守れない」
 ソフィアの言葉でシエンナは冷静さを取り戻した。シエンナの我儘でここまで来た。ただでさえ戦力にならないのに、さらに足を引っ張るわけにはいかない。
「ごめんなさい。私、取り乱してしまって……」
「いいよ。さ、対策を練ろう」
 小さく咳ばらいをして、再びソフィアが切り出した。
「まず、ひどい音。これはおそらく、レイスの能力、死霊の金切り声でしょう。この声を聴いたら生身の人間では立つことさえままならない。レイスの召喚者には無害だから、私たちがうずくまっている間にやられる」
「ああ、ロークスワインではよく使われる召喚術だ。定石は相手に気付かれる前に倒すか、精霊で迅速に倒す。精霊には効かないからな」
「今回の場合、階段を登ろうとすると音が聞こえるということですから、ずっと見張っているのでしょうね。だとしたら不意打ちは不可能でしょう」
「そうですね。ここは私たちの精霊に任せましょう」
 各々、自分の精霊へ向き、同意を得た。
「そういえば、なぜここに囚われている方々の精霊は見えないのでしょうか?」
 シエンナがふと沸いた疑問を問いかけた。
「確かに、見過ごしていた」
 ソフィアが顎に手を当てて顔をしかめた。
「これだけの数の騎士がいて、私たち以外の精霊が見当たらない。精霊は契約者の傍にいるはずだが、まさか殺された? しかし契約が切れていないということは精霊もまた死んでいないはず」
 ソフィアが自問自答する最中、部屋の外から靴音が響いた。
「まさか、もう来たのでしょうか」
 靴音のリズムから、階段を下っていることが分かる。次第にそれが近づいてきていることも。
「ソフィア殿、時間がない。先制攻撃をするなら今しかないぞ」
「仕方がないです。まだ情報が整理できていませんが、やりましょう。レイスは殺して、男はできれば生かして情報を得たい」
 三人は各々の精霊に目配せをする。
 次の瞬間、精霊は目で追えないほどの速度で部屋を飛び出した。それに応ずるように、死霊の金切り声が塔を満たす。耳を抑えるが、気休めにもならない。その振動は体中の至る所から骨を引きずって鼓膜から這い出そうとしているかのようだった。
 しかし、音はすぐに止んだ。どうやら精霊は既に仕事を終えたらしい。
「行こう」
 モリーが少しよろめきながら立ち上がって、イザベラとソフィアが続く。
 脳内の残響に頭を押さえながら、シエンナもなんとか腰を上げる。
「立てますか?」
 目前でイザベラが手を差し伸べていた。
「大丈夫よ。一人で歩けるわ」
 それは少し虚勢も混じっていたが、言葉に出すと体はその通り動いた。
 イザベラは微笑み、すぐにいつもの生真面目な顔に戻った。
「さ、行きますよ」

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 部屋の外へ出ると、見るからに邪悪な貴族風の男がモリーのヴァンパイアによって羽交い締めにされていた。
 モリーはブロードソードを抜いて男へと向けた。
「お前、どこかで見た顔だな。名乗れ」
 男はヒッと小さく声を上げ、野放図に蓄えられた白髪交じりの髭の隙間からぼそぼそと話し出した。
「サイモン=グリッグ、爵位は、こ、公爵。お前、聖騎士のモリー様だろう? 見たことあるはずだぁ、ロークスワインの、同志なんだからさぁ」
 グリッグが目を窄め、目尻に深い皺が浮かび上がる。
「お前のような公爵は知らん」
「今は、まださぁ。でも、じきに、賜るんだぁ。そういう、約束、だからなぁ、へへっ」
 モリーは眉をひそめる。
「記憶盗みで王や騎士を襲ったのはお前か?」
「あぁ、記憶盗み、知ってたかぁ。へへっ、モリー様はどうやって、あれを避けてきたんだ?」
「質問に答えろ」
 モリーは剣先をグリッグの顎へ静かに当てた。
「こっ、答える。だから慌てんな。へへっ。記憶盗みは確かに、俺さぁ。でも、王様は襲っていない。どういうことか、わかるかなぁ?」
 モリーは無言で剣に力を込める。銀白色に光る刀身に、赤く血が流れた。
「王様のために、やってんだぁ。記憶盗みを、さぁ」
「陛下が命じたとでもいうのか」
 モリーの声は苛立ちを隠し切れないようだった。
「やんねぇとさぁ、俺が、こ、殺されるんだぁ。なぁ、モリー様ぁ、助けてくれねぇか、へへっ」
「質問に答えろ! 陛下が、それを命じたのか!」
 刃はすでに顎骨まで達していた。
「お、王じゃねぇ、王の精霊だよ。精霊がさぁ、食うんだよ、記憶をよぉ。俺はただ、献上しただけだぁ。でも、もう、ねぇんだぁ、ストックがさぁ、だから、てめぇらの記憶を寄越せよ!」
 グレッグが叫ぶと同時に、階上から一斉にカラスが舞い込んできた。
「チッ!」
 モリーは剣先をグレッグから離し、そのまま先頭のカラスの首を落とした。イザベラは結界呪文の詠唱を始めながらダガーを抜いて応戦する。ソフィアもダガーを抜いてシエンナの前に立ち、三体の精霊も己の爪、牙、蹄で蹴散らした。
 しかし、やはり数が多い。
「シエンナ、しゃがんで!」
 ソフィアの声を受け、倒れるように頭を下げると、先ほどまでこめかみがあった場所をカラスのくちばしが貫く。数瞬後、その首をイザベラのグリフィンが掴み、地面へ叩きつけた。
「みな、こちらへ!」
 詠唱が終わったイザベラが叫ぶ。
 しかし、重心を崩しているシエンナは動けない。間に合わない。視界が傾いていく最中、シエンナはこの旅に思いを巡らせていた。何の役にも立てなかった自分を振り返った。力にならないのなら、力になれないのなら、仕方がない。記憶でも命でも、好きにすればいい。
 ゆっくりと瞼を閉じたその瞬間、身体を掴まれ、宙に浮いた。そのあと体は地面にぶつかって転がる。
 目を開けるとシエンナは結界の中にいた。
「なんで……?」
 シエンナが自分がいたはずの場所を振り返ると、そこにはシエンナを投げ飛ばして間に合わなかったソフィアがカラスに襲われていた。
「ソフィア!」
 カラスについばまれたソフィアの口から黒い靄が噴き出す。きっとその靄には、シエンナとの思い出も含まれている。
 黒羽の隙間からソフィアと目が合った。結界の中にいるシエンナを見て、ソフィアは微笑んだ。まもなく靄を吐き切り、ソフィアは倒れた。
 ソフィアを襲ったカラスは、その靄をまとって次はシエンナを目掛けて飛び、そして結界に阻まれ、あっけなく灰となった。靄は霧散した。それが最後のカラスだった。
 シエンナは込み上げた吐き気を堪えようともせず、嘔吐した。
 イザベラが結界を解くと、シエンナはよろめきながらソフィアへと駆け寄った。
「ソフィア、ソフィア! ごめんなさい、私が、私が巻き込んだせいで……」
 その姿が痛ましく、イザベラは目を背けた。そして、気付いた。
「シエンナ、あれを見てください」
 イザベラの指さす先では、ソフィアの精霊、ユニコーンが飛び回っていた。
「いったい、何を――」
 言いかけて、シエンナも気付く。ユニコーンは、ソフィアの靄を集めていた。ユニコーンが靄に触れるたび、ユニコーンの姿はより大きく、より鮮明になっていくのがわかった。
 しばらく辺りを駆け回ったあと、ユニコーンはソフィアに歩み寄り、口づけをした。
 するとユニコーンは次第にぼやけて小さくなり、元の姿へと戻った。
「んっ……うう」
 ソフィアの顔に生気が戻り、呻き声と共に意識を取り戻した。
「ソフィア! 大丈夫? 私のこと分かる?」
 肩を掴まれたソフィアは微笑んで答えた。
「よかった、無事だったんだね、シエンナ」
「ええ……!」
 シエンナの瞳から涙が零れた。自分の名前を呼ばれて、これほど嬉しかったことはなかった。
「そうだ、あいつは」
 モリーが思い出したときには、既にグレッグの姿はなかった。
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 すぐにソフィアは回復した。
「新たに分かったことをまとめます。精霊が記憶の靄によって存在を強めることと、記憶は精霊によって元に戻ること」
 ソフィアは自分の気が失われてからの経緯を聞いて、状況を整理する。
「ええ、元に戻って、本当によかったです」
 イザベラが相槌を打つ。
「はい。ですが重要なのは前者の方。グレッグは王の精霊が記憶を食べると言っていました。今までの犠牲者すべての記憶によって、いったいどれほどのものとなっているか、見当もつきません」
「ロークスワイン王の精霊というと――」
「ああ、パラディンだ」
 イザベラやモリーと同じ聖騎士だった者だ。王の精霊は過去の聖騎士の比類ない忠誠を核とする。それはアーデンベイルでも同様の習慣であった。
「同郷の先人と戦いたくはない。だが、行くしかない。王が、そこで待っているのだから」
 モリーは階上を睨んだ。
「行きましょう」
 イザベラも同調する。
「あの、私、私はここで――」
「シエンナも、行こう」
 言いかけたシエンナをソフィアが遮った。
「でも、またあなたが私を庇って傷つくかもしれない!」
「今度は違う。シエンナ、あなたも一緒に戦うの」
 そういってソフィアが懐からロケットを取り出し、シエンナに差し出した。
「これって……」
 シエンナはそれを受け取り、自分のやるべきことが分かった。
「なにか、策があるのですね」
 イザベラの問いにソフィアが頷く。
「では、進みましょう」
 もう、ソフィアは迷わなかった。


 塔の外壁に面する階段には一定の間隔で窓として穴が開けられ、そこから神秘の聖域が見えた。日が落ちるにつれて外はますます暗くなっていくが、窓からの光でなんとか先が見える。
 一階ごとに探索をして、記憶盗みの魔法陣と、おそらくその犠牲となったであろう女の死体の山を見つけた。
 そして、王は見つからないまま、ついに最上階へたどり着いた。
「もし塔の中にいるなら、あとはここだけだ」
 モリーが振り返り、潜めた声で告げた。
 全員を見渡し、全員が頷く。
「行くぞ」
 モリーの声を合図に一斉に部屋へ飛び込んだ。その瞬間、シエンナは気温が一気に下がったような寒気に襲われた。
 部屋は暗く、奥までは見渡せない。中央には椅子があり、ロークスワイン王がそこへ目を閉じて座っていた。
「陛下!」
 モリーが声を上げると、王はゆっくりと顔を上げた。
「おぉ、モリーではないか。よく来てくれた」
 よく来てくれた、それはモリーが主君のもとを訪れるたびに聞いた、王の口癖であった。モリーは主君の無事に頬を緩め、王のもとへ駆け寄る。ロークスワイン王は立ち上がり、それを向かい入れようとした。
 しかし、すべての精霊が異変に気付いていた。
 次の瞬間、モリーは自身の精霊によって横へ突き飛ばされた。モリーの腕に、ロークスワイン王の構えたダガーがかすめ、血が滲んでいた。
「さすがに精霊には分かりますか」
 声はロークスワイン王のものであるが、その口調はもはや別人のものであった。
 モリーは素早く体勢を立て直し、後ずさった。
「お前は誰だ」
 モリーが問う。
「私も元は騎士。礼節に則ってお答えしたいところですが、あいにく名はありません。ですが、姿くらいはお見せしましょう」
 王の姿をしたものがそう言い終わると同時に、身体全体を歪めた。変形、というのが最も妥当であった。身体は精霊と同じ銀色に光り、わずかに膨れ上がる。その中では無数の精霊が蠢いているのが見えた。しかし数瞬でその存在は一つの形へ収束し、最後に帽子を斜めに被ってマントをまとった騎士風の男が一人残った。
「あなたは王の、精霊か?」
 イザベラが男に問うた。その口調は、単なる確認ではなく訝しむという方が良いものであった。先ほどの王といい、今目前に立つ男といい、その姿はイザベラたちが連れている銀色に揺らめく精霊とは異質で、むしろ見慣れているものであった。つまり、人間であるとしか思えなかったのである。
「残念ながら精霊ですよ。今はまだ」
 男は張り付けたような笑みを浮かべて答えた。
「陛下をどこへやった!」
 モリーが声を荒げる。
「どこへもやっていませんよ。この部屋のどこかで倒れていると思いますが」
 当たりを見渡しても、この暗さでは確認しようがなかった。
「――いや」
 男は何かに思い当たったように口元を不自然に歪め、続けた。
「王の体と記憶を持つ今の私が、王その人であるといっても良いかもしれませんね」
「ふざけるな!」
 モリーは激高し、剣を振りかぶった。
 男は腰からレイピアを抜き、上段からのモリーのブロードソードを軽くいなす。
 そこへ既に距離を詰めていたイザベラが、両手剣を振り下ろした。男は身をかがめて避けながら、二撃目を構えるモリーの顔に帽子を投げつけ、視界を奪う。
 モリーの攻撃はそのまま反れた。男はその隙を逃さずモリーの喉元へレイピアを突き出すが、剣の腹をヴァンパイアに弾かれ、剣先は空を切った。
 男は後方へ跳ねて距離をとる。
「やはり、この人数差は厄介ですね」
 男は気味の悪い笑みのままそういうと、口を大きく開けて死霊の金切り声を出した。
「くっ、なんでもありか」
 モリーが呻く。生身の人間では動くことができない。
 三体の精霊が男に飛びかかった。
 男はヴァンパイアが伸ばした手をレイピアで振り上げて切り落とし、そのまま上段から喉元を突き刺す。
 上空から迫るグリフィンの嘴をこともなく躱して首を落とし、突撃するユニコーンを体さばきで避けて足を切る。
 バランスを崩して倒れたユニコーンへ背中側から飛び掛かり、両手でレイピアをもって首へ突き立てた。
 急所を突かれた精霊たちは姿を保てなくなり、そのまま見えなくなった。
「これで多少はフェアになりましたね」
 男はこちらへ向き直った。
「そんなっ」
 シエンナは思わず声を上げた。金切り声はまだ脳内に残響している。
「大丈夫です。精霊は切られたくらいでは死にません」
 イザベラが頭を押さえながら立ち上がった。
「ええ、じきに戻りますよ。あなたたちが生きていれば」
 男はイザベラへ向けて語り掛ける。
「ところで私も精霊なのですよ。王が生きている限り、私もすぐに蘇ることを忘れていませんか」
 モリーが顔を歪めた。
「それはどうだろう。傷を負うごとに、記憶によって得た力は失われるんじゃないかな」
 シエンナの前でダガーを構えるソフィアが、男を試すように言った。
「なるほど、記憶盗みのことはすでにご存じでしたか。でも、私も試したことがないのでわかりませんね」
 男はソフィアの方へ向き直した。
「一つ、聞いてもいいかな」
 ソフィアが男へ問いかける。
「ええ、ご自由にどうぞ」
「一体何が目的でこんなことをしているんだ」
 ソフィアがそういうと、まるで聞いて欲しかったと言わんばかりに男が両手を広げた。
「いいですよ、答えましょうとも。私はね、死にたくないのですよ」
 男はソフィアに向かって歩きながら答えた。
「もう死んでいるじゃないか」
 ソフィアは全く臆さずに突っかかる。男は冗談でも言われたかのように笑った。
「確かにそうです。いや、一度死んだから、死の恐怖が分かったのですよ。自分の存在がなくなることの恐ろしさが分かりますか? 昨日まで世界は私の頭の中で動いていたのです。それなのに、私の存在が消えても世界は回り続ける。それが怖くて怖くてたまらない」
 話し続ける男の背後から、イザベラが音を殺して剣を振るった。
 男はレイピアの柄を刀身に叩きつけ、軌道を反らす。衝撃でわずかに狂ったイザベラの重心を見逃さず、軸足を蹴ってイザベラを転ばせた。そのままイザベラの手を踏みつけ、剣を掴ませない。
 そこへモリーが続く。
「あなたにはこれでいいでしょう」
 そう言うと、男は再びロークスワイン王へと変身した。
「なッ」
 モリーの一瞬の動転を突いて男は間合いを詰め、モリーの腕をひねり上げて剣を落とす。そのままみぞおちへ膝を打ち、モリーは崩れた。
 平然と男はソフィアへ向き直る。
「だから、この体、精霊となったときから、永遠だけを求めました。精霊は年を取りません。王の記憶を奪って契約からも解き放たれました。あとはこの塔から出られるほど存在を確固たるものにすれば、永遠の若さを持った人間が完成するのです」
 男はシエンナとソフィアの目の前で立ち止まった。
「そんな理由であなたは、みんなを、ジェイデンを奪ったの?」
 シエンナが問う。
「ジェイデン? ああ」
 そういって男は再び変形する。
 ソフィアがその隙を突こうとダガーを突き出すが、刀身が触れるより一瞬早く変身が終わり、ジェイデンの鎧によってダガーは弾かれた。
「私がジェイデンですよ」
 男はソフィアが突き出した腕を掴んで追撃を防ぎながら、ジェイデンの声と口調で、彼の表情で、彼の言葉を口にした。そのまま腕の関節を固める。
「じゃあ。私のことがわかる?」
 シエンナが問いかけた。
「ええ、あなたは――」
 男はシエンナの顔を見つめる。そして固まった。
 シエンナはふわりと男へ近づき、首に腕を回して抱きついた。
「――誰?」
 武装もしておらず、体格も並以下。ずっとソフィアの後ろで守られていた女に、男は全く注意を払っていなかった。
 だから気付かなかった。この女が、自分の知らない人間であることを。
「ジェイデンを愛しているものです」
 回した腕には、ソフィアが渡してくれたロケットペンダントが握られていた。その対精霊用の兵器に、シエンナはありったけの魔力を込める。そのロケットから広がる淡い緑の光は、ソフィアの予想通りシエンナの体一つ分ほどの範囲に広がって、密着している男の全身を包んだ。
 男は一瞬でほどけた。同時にロケットの中に入っている結晶が割れたのが分かった。
 男の体内に蠢いていた大量の精霊たちが、大量の黒い靄とともに一斉にあふれ出した。それぞれの精霊は飛び回り、自分の主の記憶をかき集め、階下の主のもとへと戻っていく。
 どの精霊にも拾われずに外へ流れていく靄は、きっと亡くなった人たちの記憶だ。シエンナは指を組んで、静かに追悼した。
 空はいつの間にか晴れ、差し込む夕日が眩しかった。
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 その後、モリーはロークスワイン王を助けたが、王の記憶はあの男とともに消え去ってしまっていた。しかし、モリーの忠誠が消えることはないだろう。
 イザベラは、ロークスワイン王家より多額の報奨金を提示されたが、断った。それが彼女の騎士としての矜持であるということらしい。
 ソフィアは、また新しい技術を研究すべく、書庫にこもっている。記憶と精霊、契約の関係にインスピレーションを得たのだという。
 グレッグは、月明りの掃除屋によって身ぐるみを剥がされ、そのまま息絶えているのが発見された。
 そしてシエンナは――

「初めまして、ジェイデン。ずっと前からあなたのことをお慕いしていました」

 彼らの真実の愛の口づけは、二人が共に記憶を刻み始めてから、為された。
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